瀬戸内の幻想に命を吹き込んだ色彩の魔術師
野間仁根とは?ユーモアと幻想を纏った、昭和モダニズムの個性派
野間仁根(のまひとね)は、大正から昭和にかけて活躍した日本の洋画家であり、鮮やかな色彩と幻想的なモチーフ、そして独特の筆致によって、他に類を見ないユーモラスかつ詩的な世界を築いた画家です。
彼の絵には、風景と物語、現実と幻想、力強さと可笑しみが共存し、どこか芝居じみた演出すら漂います。
瀬戸内の風景を中心に、自然と人間の営みを色彩と構成の冒険によって再編したその画業は、二科会や一陽会といった前衛的団体を通じて高く評価されました。
また、挿絵画家としても活躍し、大衆文化と美術の橋渡し役も果たした多彩な存在でもありました。
1901年、愛媛県越智郡(現・今治市)に生まれ、1919年に上京。川端画学校で絵の基礎を学び、1925年に東京美術学校西洋画科を卒業しました。
学生時代から二科展に出品し、1924年に《静物》で初入選、1928年の第15回展では《夜の床》などで樗牛賞を受賞し、画壇で一気に注目されました。
以後、二科会の会員として活動を続けましたが、1955年には鈴木信太郎・高岡徳太郎らと共に一陽会を創立。自由で個性を尊重する美術団体として、晩年まで一貫して創作を続けました。
また、戦中には中国戦線に召集される経験も持ち、戦後は新聞小説の挿絵や随筆などでも活躍するなど、ジャンルを越えた創作を展開しました。
野間の画風は、何よりも色彩の大胆さに特徴があります。赤、黄、オレンジといった暖色系を基調とし、強い線と構成力で画面を劇的に彩っていきます。
また、人物や動植物、森や舟といったモチーフが、まるで童話や寓話のような不思議な空間に置かれ、どこか芝居がかった幻想性を帯びています。
「魔法の森」や「瀬戸内海」などに見られるように、野間は自然を写すのではなく、再構成する作家でした。
彼にとって絵画とは、現実を塗り替えるためのフィクションであり、色彩は物語を生み出す装置だったのです。
また、画家でありながら釣り師でもあった彼のまなざしは、海と魚、そして人間の営みを深く見つめ、遊び心に満ちていました。
●《魔法の森》(1934年)
幻想絵画の代表作。人物と森、動植物が織り成す象徴的な空間に、物語性と神秘性が満ちる。
●《瀬戸内海》《南浦漁村》《早川の舟》
漁村や海景をテーマにしたシリーズ。瀬戸内の静けさと、野間ならではの色の冒険が混ざり合う。
●《夜の床》《仮面の少女》《赤い鳥と娘》
舞台的な構成とユーモラスな人物描写が際立つ作品群。幻想と具象が交差する独特の魅力がある。
野間仁根の作品は、色彩と構成の個性が際立ち、昭和期のモダン洋画として美術館・コレクター双方から再評価が進んでいます。
特に1930〜50年代の油彩作品は、野間らしい色彩とユーモアが顕著なものに人気があり、300万〜1,000万円級の取引実績も見られます。
また、新聞連載用の挿絵原画やスケッチ、小品でも真筆かつ来歴明瞭なものは安定した評価を得ています。
現在、以下のような条件を満たす野間作品は高評価対象です。
⚫︎1930〜50年代の代表作(幻想・漁村・舞台的構図の油彩)
⚫︎《魔法の森》系列や《瀬戸内海》など瀬戸内モチーフの真筆作品
⚫︎二科展・一陽会出品歴、挿絵・装丁原画などの来歴明瞭な資料
⚫︎鮮やかな赤・黄などの暖色基調で構成された、色彩の個性が強い作品
⚫︎スケッチ帳や釣り関連著作の挿画・挿絵(文化史的価値あり)
野間仁根の作品は、ただの風景でも人物でもありません。
そこにはいつも「どこか知らない物語の一場面」のような、時間と空間を超えた想像力が宿っています。
現実を見つめながら、ほんのすこしだけ夢にすり替える。
それが野間の魔法であり、絵画という遊び場であり、生き方でもあったのです。
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