盲目の旅芸人と遊廓に寄り添った風俗と記憶の画家
斎藤真一(さいとうしんいち)は、戦後日本の洋画界において、旅芸人「瞽女(ごぜ)」や明治遊廓といった失われゆく風俗を題材に、絵画と文筆の両面から記録・表現した稀有な存在です。
岡山県倉敷市出身。東京美術学校卒業後は教職を経てフランスへ留学。帰国後、20年近くにわたり東北地方を巡って瞽女を取材し、彼女たちの姿に語られぬ物語と生の矜持を見出しました。
その作品世界は、絵画でありながら文学であり、詩であり、時代の証言でもあります。
⚫︎1922年、岡山県児島郡味野町(現・倉敷市)に生まれる。
⚫︎1948年、東京美術学校(現・東京藝術大学)師範科を卒業。
⚫︎静岡・岡山の中学・高校で教鞭をとりながら制作活動を継続。
⚫︎1959年、フランスに留学し、藤田嗣治と親交を結ぶ。
⚫︎帰国後、津軽・越後地方を巡りながら、盲目の旅芸人「瞽女(ごぜ)」の取材と描写を開始。
⚫︎1973年、『越後瞽女日記』で日本エッセイストクラブ賞を受賞。
⚫︎東京ADC賞をはじめとするデザイン・芸術系の受賞も多数。
⚫︎1980年代以降、明治の遊廓「吉原」や花柳界をテーマとする作品群を発表。
⚫︎1987年、映画『吉原炎上』の原作を担当。
⚫︎1994年、東京都にて逝去(享年72歳)。
斎藤の絵は、単なる写実や叙景ではなく、時代に取り残された生きた証に深く共鳴する姿勢から生まれています。絵画・随筆・画文集などを通して、社会から見過ごされた人々の人生を、静かに、しかし情熱的に描き出しました。
⚫︎「瞽女シリーズ」における旅芸人の尊厳と孤独
盲目の女性芸人たちが放つ凛とした気配と、彼女たちの足跡を詩情とともに描いた記録絵画。
⚫︎明治吉原を舞台とした花柳世界の美と儚さ
時代のなかに生きた女性たちの強さと哀しみ、そして文化の記憶を象徴的に表現。
⚫︎絵と文が織りなす“記録文学としての絵画”
彼の作品はビジュアルにとどまらず、文章と組み合わさることで、より立体的な証言となる。
●《越後瞽女日記》
20年にわたる瞽女取材をまとめた代表的画文集。人間の尊厳と芸能の精神を深く掘り下げた記録的名著。
●《盲目の旅芸人》《津軽の瞽女》
各地での個展でも紹介された、詩的で情感ある瞽女像を描いたシリーズ作品。
●《吉原炎上》《吉原細見》
明治の遊廓と女性たちを題材にした文学的絵画。映画『吉原炎上』(1987年)の原作としても広く知られる。
斎藤真一の作品は、文学的背景と社会的記録性を併せ持つため、コレクター層からの評価が高く、展覧会出品作や画文集掲載作は特に注目されます。
⚫︎油彩・混合技法:80万〜300万円前後(サイズ・テーマ・資料性による)
⚫︎素描・小品:30万〜80万円前後(画文集掲載・サインの有無により)
⚫︎『越後瞽女日記』原画や吉原シリーズの大型作は美術館級として扱われることも
斎藤真一は、美術と文学、記録と抒情、証言と想像を往還する稀有な作家でした。
瞽女や遊廓の女性たちを描いた彼のまなざしは、決して哀れみやセンセーショナルではなく、生きた証を記すという、静かな敬意と共鳴に満ちています。
その作品は、私たちが忘れてはならないもうひとつの歴史であり、声なき者たちへの美術による応答でもあります。
瞽女と吉原を描いた記憶の画家/画文集掲載作・記録画もご相談ください。