0年の命で都市と格闘した、激情の画魂
佐伯祐三(さえきゆうぞう)は、大正から昭和初期にかけて活躍した日本の洋画家であり、わずか30年の生涯でパリの街を舞台に独自の都市風景画を確立した孤高の画人です。重厚なマチエール、荒々しい筆致、ポスター文字までも造形に取り込む感性は、印象派以後の新たな絵画の地平を切り開いたものと評価されます。
彼の作品には、都市の雑踏と孤独、そして画家自身の生命の叫びが刻まれています。
1898年、大阪府北区中津に生まれる。東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に進学し、1924年に卒業。
同年、妻子とともにフランス・パリへ渡航。セーヌ川周辺やモンパルナスの街角を題材に、印象派風の穏やかな作風で制作を開始しますが、フォーヴィスムの画家モーリス・ド・ヴラマンクの「アカデミック!」という一喝に衝撃を受け、画風を一変。
以後は重い絵具と鋭利な線による都市風景画を追求。店先、壁、ポスター、石畳といった身近な都市の断片を再構成するように描きました。
1926年に一時帰国。再び1927年に渡仏するも、持病の結核が悪化し、翌1928年、パリ郊外の病院で30歳の若さで死去。
佐伯の作品世界は、都市の断片を構成要素とする鋭い造形感覚に支えられています。
重厚なマチエール(絵肌)と筆圧、モノクロに近い色調の中に、赤や青が鋭く走る構成が特徴的です。
都市の「壁」や「看板」「レストラン」「道の角」など、何気ない風景に詩的・構築的な意味を吹き込んだ独自の風景表現は、戦後以降の日本の具象絵画にも強い影響を与えました。
●《壁》
粗いタッチと沈んだ色彩で、パリの街角の剥がれた壁を抽象的に描いた代表作。佐伯の真骨頂を示す作品。
●《レストラン(オテル・デュ・マルシェ)》
ポスター文字や看板など都市の雑多さを造形として取り込んだ、晩年のパリ滞在期の名品。
●《郵便配達夫》
人物像の中でも特に知られる作品で、構築的な背景と人物像が絶妙な緊張感を持って描かれている。
●フォーヴィスムの画家ヴラマンクの影響を受けて独自の都市風景画を確立
●日本では「情熱の画家」と称され、その絵肌と精神性は多くの画家に影響を与えた
●死後、佐伯祐三アトリエ記念館(東京・新宿区)や大阪中之島美術館に作品多数所蔵
●都市風景(油彩20〜30号以上)2,000万~1億円超
●小品・人物画・素描:数百万円~2,000万円程度
看板・壁・道などパリ風景の代表的モチーフはコレクター市場でも極めて評価が高く、大規模な美術館展での人気も衰えない
佐伯祐三は、単なる風景画家ではありません。
都市を見つめ、都市と闘い、自らの肉体を削るように描いた画家です。
その激しさと静けさが同居する画面には、見る者の心を揺さぶる切実な「生」が込められています。
30歳という短い命に凝縮された芸術。その軌跡を追うことは、日本近代洋画の核心をたどることにもつながります。
中之島美術館所蔵作との比較査定可能/壁・看板・都市風景は特に高評価対象