小樽と信州の自然に寄り添い続けた風景画の詩人
色彩で風を描いた、20世紀の日本風景画の巨匠
中村善策(なかむらぜんさく)は、20世紀を代表する日本の洋画家の一人であり、北海道・小樽と信州の風景を描き続けた風景表現の第一人者です。
豊かな色彩と緻密な構成、そして自然への静かな敬意を湛えた作品は、日本の近代洋画史において確かな存在感を放ち続けています。
都市でも抽象でもなく、あくまでも風土とともに生きる絵画を追い求めた彼の筆は、海と山、坂と空、そして季節の光までも絵の中に封じ込めました。
彼の作品世界を知ることは、日本の原風景と向き合うことでもあります。
1901年、北海道小樽市に生まれる。14歳で地元の小樽洋画研究所に学び、1924年に上京して川端画学校に通い始めました。
その後、二科展、一水会、日展などの主要公募展に出品し、風景画家としての道を着実に歩みます。
1945年の東京大空襲により、アトリエと多くの作品を焼失。長野県明科(現・安曇野市)への疎開を経て、信州の自然と出会い、以降は小樽と信州の風景が作品の中心的モチーフとなります。
1967年には日展で文部大臣賞を受賞。1968年には日本芸術院賞を受け、日本美術界の中枢に名を刻みました。1978年には勲四等旭日小綬章を受章。1980年には日展参事にも就任。
1983年、脳血栓のため逝去。享年81歳。
中村の風景画は、構成の緻密さと色彩の鮮やかさを特徴としています。
決して派手ではないが、見れば見るほどに色の重なりと光の捉え方に奥行きがある。それは自然を対象として見るのではなく、共に呼吸する存在として描こうとした姿勢の表れでもあります。
小樽の港町、坂道、石狩湾の丘、張碓の断崖。どの風景にも、画家のまなざしが静かに重ねられています。
疎開中に描いた信州・明科の田園風景には、失われた日常と再生の願いがにじみ出ています。
晩年にいたるまで、風景への誠実なアプローチを貫いた中村の作品には、「描くことで土地と対話する」という哲学が一貫して流れていました。
●《石狩湾の丘の邑》
1967年日展文部大臣賞受賞作。広がる丘陵と空の構成に、中村の色彩と遠近の工夫が凝縮。
●《張碓のカムイコタン》
1968年芸術院賞受賞作。断崖と海、光と影のドラマが迫る大作。北海道の原風景を象徴する一枚。
●《明科の田園》《小樽の坂道》《春の信濃川》
小品にもかかわらず完成度が高く、地方色と詩情が共存する代表的シリーズ。
中村善策の作品は、具象風景画としての構成力・色彩感覚・画家としての誠実な歩みにより、現在も高く評価されています。
特に日展・芸術院賞受賞作系列、また小樽・信州の風景画にはコレクターからのニーズも根強く、油彩大作は500万〜1,500万円級で取引されることもあります。
一方で、小品やスケッチ、水彩なども保存状態・来歴次第では数
以下のような条件を満たす中村作品は特に評価対象となります。
⚫︎小樽・信州風景をモチーフにした真筆油彩作品
⚫︎《石狩湾の丘の邑》《張碓のカムイコタン》など受賞作・その関連作
⚫︎展覧会出品歴あり、保存状態良好な作品(裏書・サイン付き)
⚫︎一水会・日展・芸術院など関係機関との記録資料が付属するもの
⚫︎記念ホール所蔵作品と同時期の作品(テーマ・構成類似)
中村善策の絵には、派手さや奇抜さはありません。
しかし、その分だけ、描かれた風景は「誰かの記憶」と静かに共鳴し、私たちをそっと包み込みます。
丘のかたち、川のきらめき、坂の奥の光――
そのすべてが、中村の絵の中では「生きた風景」として語りかけてくるのです。
写真で簡単査定/小樽・信州の風景画、日展・一水会出品作も対応可能