アメリカン・シーンを描いた、国境を越えたモダニスト
清水登之(しみず とし)は、大正から昭和戦前期にかけて活躍した日本の洋画家であり、20年に及ぶアメリカ・フランスでの経験を生かし、ユーモアと観察眼に満ちた都市生活者の姿を描いた画家として知られています。
日本では比較的知られることの少なかった“アメリカン・シーン”の感覚をいち早く持ち帰り、近代洋画界に新たな風を吹き込んだ存在です。
その筆は、街に生きる人びとの躍動、哀愁、日常の可笑しさを、確かな描写力と洗練された色彩で包み込みました。
1887年、栃木県下都賀郡国府村大塚(現・栃木市)に生まれる。中学時代から絵に親しみ、当初は陸軍士官学校を目指すも受験に失敗し、画家を志す。
1907年、20歳で単身アメリカへ渡航。シアトルで肉体労働に従事しながら、オランダ人画家フォッコ・タダマの画塾で絵画を学ぶ。
1917年にはニューヨークに拠点を移し、アート・スチューデント・リーグにてジョージ・ベローズ、ジョン・スローンらに師事。アメリカの都市生活者を主題に、力強くもユーモラスな画風を確立。
1924年にはフランスに渡り、サロン・ドートンヌなどに作品を出品し評価を受ける。1927年、約20年の海外生活を経て帰国。以後は二科展や独立美術展に参加し、1930年には独立美術協会の創立に参画。
戦時中は従軍画家として戦地に赴いた。1945年、終戦直後の12月7日に疎開先の栃木の生家で死去。享年58歳。
清水登之の作品には、アメリカで培われた"アメリカン・シーン"の精神が色濃く反映されています。
高層ビル、酒場、街頭の労働者や庶民の日常などを主題に、素朴でありながら躍動感ある人物像が画面を満たし、その表情や仕草に込められたユーモアと皮肉が見る者を惹きつけます。
また、パリ滞在を経て描かれた作品には、構図の緊密さや色彩の洗練が加わり、国際的な水準の技術を持つ都市風俗画として完成度を高めました。
帰国後は国内展にも精力的に参加し、戦時中には従軍画家として従軍記録画も制作。表現主義や社会派の要素も垣間見える多彩な制作活動を行いました。
●《街の男たち》
ニューヨーク時代の代表作。レンガ色の背景に都市生活者を配置し、アメリカ社会のリアリズムとユーモアを融合。
●《移民街の風景》
異国文化と下町の雑踏が混じり合う街角を描いた佳作。対象の多様性と活気を見事に捉えている。
●《帰国後の自画像》《軍需工場内》
帰国後の作品には、都市に対する視点と、社会的背景を見つめる視野の広がりが見て取れる。
清水登之の作品は、渡米歴の長さやアメリカ的主題の独自性から、美術史的にも市場的にも再評価が進んでいます。
とくに都市生活者を描いた作品や戦前のアメリカ・フランス滞在作、または二科・独立展出品作はコレクターからの需要が高い傾向にあります。
⚫︎油彩人物・都市風俗画:300万〜1,500万円
⚫︎渡米・渡仏期の油彩小品:100万〜800万円
⚫︎素描・スケッチブック:50万〜300万円前後(保存状態による)
帰国後の展覧会出品作や戦地スケッチなども資料的価値が高く、学術的にも注目されています。
清水登之作品の買取市場での傾向
市場では以下のような作品が特に高く評価されます。
⚫︎アメリカ滞在中に描かれた都市生活者・風俗画(人物描写中心)
⚫︎サロン・ドートンヌ出品歴のある渡仏期作品
⚫︎独立美術協会初期出品作
⚫︎帰国後の展覧会記録付き作品(樗牛賞・二科賞受賞作など)
⚫︎従軍記録画や、記録写真と連動した作品群
近年、清水登之の国際性に注目が集まり、再評価とともに市場価格も上昇傾向にあります。
清水登之の絵には、異国の風景の中で生きる人々への愛着と観察眼が宿っています。
それは風俗画というよりも、“時代の息づかい”を写し取った肖像画とも言えるものであり、国内外の美術に一石を投じる存在でした。
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