写実を極めた孤高の画家、月とともに歩んだ魂のまなざし
高島野十郎(たかしま やじゅうろう)は、福岡県久留米市に生まれ、人生のほとんどを画壇や世俗的名誉と距離を置きながら、独自の写実画を貫いた洋画家です。
魂の奥底から湧き上がるような集中力と清らかな眼差しをもって、風景や静物、そして夜空の「月」を描いたその作品は、没後静かに人々の心を打ち、今なお“孤高の写実”として語り継がれています。
1890年、福岡県久留米市の裕福な造酒業の家に四男として生まれる。本名は彌壽(やじゅ)、字は光雄。
幼少期から芸術に強い関心を示し、兄・高島宇朗の友人でもあった青木繁の影響で画家を志す。
東京帝国大学農学部水産学科に進学し、首席で卒業するも、研究職には進まず独学で画家の道を歩み始める。
1919年頃より本格的に写実画に取り組み、1929年には北米経由で渡欧。フランス・ドイツ・イタリアで数年にわたり研鑽を積む。
帰国後は久留米に戻り、実家の酒蔵を「椿柑竹工房」と称してアトリエに改装。自給自足に近い質素な生活を送りながら写実画の探求に没頭した。
1960年には千葉県柏市に移住。以降も画壇には属さず、名誉や報酬とは無縁の静謐な制作を続け、1975年、孤独のうちに生涯を閉じる。
高島の画風は、いわゆる写実という範疇を超えた、精神的写実とでも呼ぶべき深い内面性に貫かれています。
身近な花や果実、木々や山川を題材にしながらも、そこに潜む静寂や生命の気配、あるいは永遠性といった哲学的な問いかけが、筆致の隙間から浮かび上がってきます。
とりわけ晩年に描いた「月」の連作では、完全な孤独と対話するような、祈りにも似たまなざしで夜空を見つめ、画面に沈黙を刻み込みました。
その透明感のある色調と静謐な空間構成は、日本近代洋画史においても唯一無二の存在感を放ちます。
●《蝋燭》
漆黒の背景に蝋燭の光が一筋に灯る代表作。生と死、陰と陽を象徴するような静かな光の表現。
●《月のある風景》連作
晩年の柏時代に描かれた夜景の数々。孤独と魂の光を主題とする心象風景。
●《林檎》《水仙》《椿》などの静物画
あくまでも写実に徹しながら、命の律動と永遠性がそこはかとなくにじむ珠玉の小品群。
高島野十郎の作品は、生前に流通がほとんどなかったため現存数が非常に少なく、その希少性と精神性の高さから近年ますます評価が高まっています。
⚫︎油彩画(蝋燭・月・静物):800万〜3,000万円以上
⚫︎小品静物・スケッチ:200万〜700万円前後(来歴重視)
⚫︎資料・未発表作品:状態により変動あり
真贋の見極めが難しく、美術館・専門家の鑑定が極めて重視される画家の一人です。
以下のような条件の作品が、特に高く評価される傾向にあります。
⚫︎《蝋燭》《月》《静物》など代表的モチーフ
⚫︎柏時代以降の晩年作品(テーマの深まりが評価される)
⚫︎来歴が明確な真筆/展覧会図録掲載や寄贈作品
⚫︎保存状態良好かつ署名入りの油彩画
また、福岡・柏地域の文化施設や私設美術館による調査・収集も進んでおり、公的評価との連動による市場価値の安定が期待されます。
高島野十郎の作品には、社会的評価や名声とは無縁な、ただ“描く”という行為そのものへの真摯さがあります。
それは対象と一体化し、見ること、感じること、生きることの根本を探るような静かな営みでした。
今なお多くの人が彼の作品に心を揺さぶられるのは、その沈黙の中に“生の深層”が見えるからかもしれません。
ご自宅やご実家に高島野十郎作品をご所蔵の方は、ぜひ専門鑑定士による評価をご検討ください。
蝋燭・月・静物作品対応/来歴重視・写真査定受付中