瑛九(えいきゅう/1911–1960)は、写真、油彩、版画、ドローイングなどあらゆるメディアを自在に横断し、「戦後アヴァンギャルド芸術」の象徴的存在として知られる作家です。
本名は杉田秀夫。初期は「フォトデッサン」という革新的なフォトグラム技法で注目され、戦後は色彩豊かな抽象絵画へと転じていきました。その表現は常に既成の形式を超えるラディカルなもので、形式や所属に縛られない「個としての自由な芸術」の体現者でした。
彼が提唱したデモクラート美術協会の精神は、日本の現代美術運動に決定的な影響を与えたと言っても過言ではありません。
1911年、宮崎県に生まれた瑛九(杉田秀夫)は、10代で東京美術学校(現・東京藝大)に入学するも、画壇の権威主義に馴染めず中退。独学で写真や前衛美術に取り組み、1936年には自身の写真作品を収めた画期的な作品集『フォト・デッサン集』を自費出版。これにより一部の美術家・批評家の注目を浴びます。
戦後は絵画制作へと大きく舵を切り、抽象表現主義的な作風を展開。1951年、独自の芸術運動「デモクラート美術協会」を設立し、吉原治良、山崎つる子らを巻き込みつつ、関西前衛の重要な起点となります。
1960年、わずか48歳で早逝。生涯を通じて一貫したのは「自由な制作精神」でした。
瑛九の表現はジャンルや素材に収まりません。時期によって表現の手法が大きく異なるのが特徴で、彼の芸術遍歴は「ひとりの作家が辿った多様な戦後アートの地図」とも言えます。
主なシリーズや表現様式
⚫︎フォトデッサン(1930年代)
暗室でネガを使わず、直接印画紙に物を置いて感光させる実験写真。影と光の純粋な詩。
⚫︎抽象油彩画(1950年代)
鮮やかな色彩と勢いあるタッチで構成された絵画。アンフォルメル、抽象表現主義、オートマティズムの影響が見られる。
⚫︎ドット絵風の点描抽象(晩年)
無数の色点で構成された抽象絵画は、瑛九のトレードマーク的作風。ポップで瞑想的でもある。
⚫︎デモクラート美術協会の活動
グループ展や冊子制作を通じ、中央画壇と距離を置いたオルタナティブな運動を展開。
そのどれもが、瑛九という人間の「分類を拒絶する芸術性」を雄弁に語っています。
『フォト・デッサン集』(1936)
『作品No.118』(1954)
『作品No.191』(1958)
『白い作品』(1959)
宮崎県立美術館所蔵の点描シリーズ
作品の多くは「タイトルを持たない」ことも多く、番号で管理されています。それは彼にとって作品が“意味”を伝えるよりも、“感じさせる”ものであった証でもあります。
近年、瑛九は「日本のモダニズム美術」「実験写真の先駆」「戦後前衛の源流」として再評価が進んでいます。国内の大規模回顧展(例:東京国立近代美術館/宮崎県立美術館)や、海外での日本戦後美術特集においても瑛九作品が取り上げられ、取引価格は着実に上昇傾向にあります。
作品の価格帯目安(オークション・市場実績より)
⚫︎フォトデッサン原本:数百万円〜1000万円超
⚫︎点描抽象画(中小サイズ):100万〜500万円前後
⚫︎リトグラフや版画作品:10万〜50万円
⚫︎ドローイング:20万〜80万円程度
真作で保存状態が良好な点描油彩などは、1000万円超で落札される例も増えています。
瑛九作品はジャンルによって評価基準が異なります。査定では以下の点が重視されます:
⚫︎制作年代(特に1950年代の油彩が高評価)
⚫︎番号や印章の有無(真贋の判断材料)
⚫︎展覧会出品歴・資料掲載の有無
⚫︎フォトデッサン原本か否か
⚫︎ドット抽象であれば構成の完成度
また、瑛九は贋作も少なくありません。信頼できる業者に依頼し、必要に応じて美術館級の資料と照合することが望ましいです。