吉原治良(よしはら じろう)は、戦後日本の前衛美術を牽引した伝説的な美術家・思想家であり、アーティスト集団「具体美術協会(通称:具体)」の創設者として知られています。
「人の真似をするな」「今までにないものをつくれ」という言葉を掲げ、若い作家たちを導いた吉原は、美術の概念そのものを揺さぶる独創的なリーダーでした。彼自身の作品も、静謐な円相を描いた後年のシリーズに代表されるように、内省と美的緊張感を兼ね備えた唯一無二の世界を築いています。
近年では、海外のミュージアムやマーケットでも再評価が進み、戦後日本美術の文脈で欠かせない存在となっています。
吉原治良は1905年、大阪に生まれました。実家は石油業を営む裕福な家庭で、若い頃から美術や文学に傾倒。1930年代にはシュルレアリスムや抽象絵画に接近し、パリを訪問するなど国際的視野を持って活動します。
戦後、関西で前衛美術の運動が再燃する中、1954年に「具体美術協会」を結成。白髪一雄、元永定正、田中敦子、嶋本昭三など、若手作家の自由な表現を育てながらも、組織の精神的支柱として活動を支えました。
1980年に死去するまで、作家・批評家・教育者の側面を兼ね備え、関西アヴァンギャルドの象徴的存在として存在感を放ち続けました。
《作品(黒地に金円)》1965年頃
黒の画面に、金の一筆円が描かれた代表作。筆の揺れや濃淡が、作家の呼吸や集中を写し取ったかのような作品であり、見る者の内面を静かに揺さぶります。
《具体美術協会 第1回展出品作》1955年
絵画の枠を超えたオブジェ的作品やマチエールに満ちた抽象画。吉原は指導者でありながらも自身の出品にも妥協せず、「新しい表現」を提示し続けました。
《作品(銀色の円)》1970年頃
大阪万博の頃、吉原はより精神性を追求し、円の中にも「空(くう)」や「気」の流れを求めるようになります。静謐な画面に広がる銀の筆致は、宗教的ともいえる深さを湛えています。
吉原治良は、単なる画家ではなく、「どう生き、どう表現するか」を体現した存在です。その作品には、技巧を超えた精神的な強度と美しさが宿っています。
具体美術を知ることは、戦後日本の芸術精神を知ることでもあります。吉原治良の作品は、いまもなお、次世代の表現者たちに強い影響を与え続けています。
吉原治良の作品は、具体美術が国際的に再評価された2000年代以降、急速に市場価値を高めています。特に「円」のシリーズは、彼の作家としての思想と完成度の高さから、コレクターや美術館から引く手あまたです。
2023年には、吉原治良の1970年代の《黒地に銀円》作品が、ニューヨークのオークションで約2,800万円で落札されるなど、海外マーケットでも存在感を増しています。
特に以下のような条件の作品は、高値で取引されやすい傾向にあります。
⚫︎1960年代以降の「円」シリーズ
⚫︎展覧会・図録掲載歴がある作品
⚫︎キャンバスサイズが大きく、保存状態が良好なもの
⚫︎真贋証明書・画廊出自が確認できるもの
吉原作品は市場に出回る数が比較的少ないため、正規ルートでの査定・売却が重要です。
とくに「具体」関連の資料、展覧会歴、サインや制作年の記載などは、買取価格を大きく左右します。
また、彼の作品は海外でも人気が高まっており、英語圏のコレクターや美術館に売却するルートを持つ買取業者への相談もおすすめです。
ご自宅にある抽象画の中で、「黒い背景に金色や銀色の円が描かれている」「キャンバスに“Jiro Yoshihara”のサインがある」といった作品があれば、ぜひ一度専門的な査定を受けてみてください。